〘 演ずるということ 〙
演ずるということ Ⅳ
―漂泊の俳人種田山頭火、降臨―
弟二句である。 <現在編集準備中>
演ずるということ Ⅳ
―漂泊の俳人種田山頭火、降臨―
朝方からのはげしい雨がみぞれにかわった。
街も、樹々の梢も、道ばたの石も、びちょびちょとした氷の粒に覆われ、うすぼんやりとしか見ることが出来ない。私は稽古場の窓から沈鬱な気分でその光景を眺めていた。がそのとき突如、
しとどに濡れてこれは道しるべの石
という、種田山頭火の一句が脳裡を掠めた。
私は、はたと膝を打った。
今からおよそ三十年程前、別役実氏(劇作)、古林逸郎氏(演出)、常田富士男氏(俳優)らで結成された「企画66‘」という小劇団に私が初めて出演した時のことである。
晩秋のある日のことであった。一日の長い稽古が終り、私は自分のあまりの腑甲斐なさに、まるでボロ布のようになって稽古場のベンチに蹲っていた。
やがて私は、ふと背後に人の気配を感じ振り返った。そこには無精髭に、深い微笑を湛えた相手役の常田富士男さんがずんぐりと立っていた。そして温もりに満ちた、木訥な口調でこんなことをいった。
「維田さん。種田山頭火の『頭にとんぼをとまらせてあるく』(笠にとんぼをとまらせてあるくの誤りであるが・・・)って句を知っていますか?よほど心が清んでいないと、とんぼはとまってくれませんからね・・・。芝居もおなじですね・・・。それに役だなんてあまり思わないで維田さんそのままでいらしたほうがいいじゃないですか・・・?やりたい演技をちょっぴりやらないとか・・・感情っての、ありゃあ雑念の一種ですね・・・」
こんな記憶が切っ掛けになって書き記したのが今回の拙文である。思いもよらぬ種田山頭火の降臨であった。以下がその趣向である。
● 分け入っても分け入っても青い山
● うしろすがたのしぐれてゆくか
● 空へ若竹のなやみなし
私は山頭火の句から、ほぼいきあたりばったりにこの三句を選び出し、それぞれの句から感じとられる作者の境涯を、稽古に苦悶するわたしたちの心情にそのまま重ね合せてみた。
つまりそうすることによって、苦悶するということの真の価値と、「演ずるということ」と「日常を生きるということ」との不可分の関係を、新たな切り口からより身近かに実感することが出来るのではないかと期待したからだ。
私は山頭火の句の中に、それらを期待するに足る豊かな土壌が潜んでいることを、かねてから痛感していたのだ。
そしてさらに、それらの句から、右の命題を示唆する鍵となるような語句(キーフレーズ)をそれぞれ抽出しそれを軸に書き記してみようと思ったのだ。
ではまず、その弟一句である。
分け入っても分け入っても青い山
この句には<大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た>という前書がついている。山頭火四十四才の時の一句である。
私はこの句から「あるくということ」というキーフレーズを抽出してみた。
かれこれ二十年近く前のことである。私は演技発表会が間近かに迫った稽古場で、苦闘する初心の若い俳優から、いかにも捨てばちにこんな詰問を受けたことがある。
「でも、じゃ、どうすればロミオになることが出来るんですか!演ずるっていったい何ですか」私は次のように答えた。
「いいですか。つまりこういうことです。役というのはあくまで設定です、人間ではありません。人間はそこにいるあなただけです。ですから、ロミオになるなんてことはもともとあり得ないことなのです。示された設定をわがこととして受けとめ、あなた自身(、、)がいま、ここに生きて下さい。なすべきことはただそれだけです。そしてその一切を支えるものはあなたの人格です。その人格の自ら(’’)なる(’’)表出、それが演ずるということです」
稽古場から一気に生気が消え、若者の全身から忽ち汗が引いていくのがわかった。
私は思わず口を衝いて出た、この一塊りの言葉を反芻し、したたかに赤面した。なぜなら、この一塊りの言葉が言葉の水準に止まっている限り、この若者には何の役にも立ちはしないからだ。
この若者にとっていま必要なのは、このような知的啓蒙ではない。たとえどんなに遠廻りになろうと、血の通った二本の足でただあるくこと、自分自身の心と体の仕組みを否応なしに実感しながら、ものいわぬ山に向かってただあるくことなのだ。この若者が渇望しているのはそれだけであった。
そうすればいつの日かきっと、若者は自らに向かって「演ずるということ」の真の意味を、静かに問うことになるに違いない。
その時こそ、この一塊の言葉の意味するところのものが、言葉の水準から、身体的水準に置きかえられ、若者自身の身体を似って咀嚼され、選沢され、肉体化されていく。そうなってはじめて、肉体は言葉を求め、言葉は肉体をさらに豊かにするという真に有機的な関係が成り立つのだ。
「目的地」はあるく方向をとりあえず指し示すこともあろうが、若者の新鮮で大胆な可能性の芽を摘み取ってしまうことにもなりかねない。
これを演ずる側に置き換えてみれば、わたしたちのなすべきことは至って明瞭であろう。「目的地」に到達することも重要には違いないが、そこに至るまでの道程が果たして充足しているかどうか、そのことのほうが、さらにさらに重要であろう。
「目的地」への到達を急ぐあまり挫折してしまった若者は、数かぎりない。
<目をあげればそこに青い山がある。はてしなくつづく青い山がある。覆いかぶさるように青い山がある。山頭火は笠をまぶかにかぶり、黙々として青い山に向かってただあるく。求むるところなくただあるくのだ。あるくことがそのまま句作することであった>のだ。
山頭火の「あるくということ」も、この若者の「あるくということ」も、それが決して方便ではなく、それ自体が目的であるという意味では両者とも寸分もかわることはない。
とはいうものの、青い山の頂にあるものは、さらなる青い山である。
あるいて、あるいて、あるきぬく執念の、果たしてわれらにあるやなしや!
それが真に問われるところであろう。
〚別役実〛
1960年代初頭より今日まで不条理演劇を牽引してきた
演劇界を代表する劇作家
演ずるということ Ⅲ
人間の本性を一字にすれば、善でもない、悪でもない、悲と哀になろう
(天声人語)
私達は、演技実習の殆どを、別役実氏の戯曲をテキストとし、それを演じてみるという形を以て進めている。
その理由は、冒頭に述べたように、人間の存在を極めて絶望的状況、限界的状況なものとして捉え、
それを通して自己の実存を自覚するという視点それを拠り所としているからだ。
人は概ね、そうであること(肯定)を生きているのではなく、そうでないこと(否定)を生きている。
この現実に目を逸らしたままの稽古は殆どその意味をなさない。
演ずるということは、あるがままの自分をとめどなく晒し、生き示すことである。
別役実氏の戯曲はそのことを、とことん私達に要求してくる。これ程ヒューマンなテキストがまたとあるであろうか……。
別役実氏の戯曲は難解だとよく云われる。いかにも尤もな話しであろう。人間ほど訳のわからないものはないからだ。
しかしその難解さの中にこそ、明晰な命の実相をみることになるのだ。
生きることは素晴らしいなどと軽々に口に出来る程、事は簡単ではない。
別役劇を演ずることは、ダイレクトに自分自身の奥底を覗きみることである。
別役実氏の戯曲を一度は演ずる側から味わってみてほしい。
電信柱が立っている
電信柱は黙って立っている
(略)
電信柱の上に空がある
みてごらんあの空を
暗号が走る
(別役実作 スパイものがたり)
電信柱は、宇宙との掛橋である。別役氏はあの空から発信される暗号になにを読みとっていたのであろう……。
〚別役実〛
1960年代初頭より今日まで不条理演劇を牽引してきた
演劇界を代表する劇作家
演ずるということ Ⅱ
昨年の冬、私は旧友の老俳優(81)からこんな話をきいた。末期の膵臓癌であった。
「ね維田君……。演ずるということは、結局演ずることをやめることだったんだね。
そのままの自分でいることだったんだ、あほみたいに無邪気にさ……、
実はお客さんはそれを待っていたんだ……。こんなことがわかるのに六十年かかったよ……。」
彼はそういって笑った。そして半月もたたずこの世を去った。
普段私達は、ああも思われたい、こうも見られたいと懸命に演じあくせく自分を飾りたてて生きている。
ところがなんかの拍子に、ひた隠しにしていたはずの自分がポロリと転がり出る。身も世もなく慌てふためく。
まわりの失笑を買う。しかしそれは決して冷ややかな笑いではない、感動とまではいえないまでも共感と、暖かい眼差しに満ち溢れ、えもいわれぬ一体感につつまれる。誰しも経験することだ。
舞台も全くこれと同じなのだ。舞台とは‶斯く演じてみせる場"では決してない。役という設定を鏡に見たて、
内に潜む、ありのままの自分を大向こうに解き放つ場のことである。これがほんとうに演ずるということである。
演ずるということは生きることを直に見つめなおすことである。これ程ヒューマンな仕事はめったにない。
「役を鏡に見たてる」とは具体的にどういうことなのか。「ありのまま」とは一体何なのか。
私たちは今こそ第一歩にたち返ったつもりで、これらに向き合っていきたい。
特に初心の方は、その第一歩がなによりも大切である。とことん具体的に、飽くまで実戦を旨としたい。
演ずるということⅠ
演技の方法などという話になると、これはもうとめどがない。
「そんなものはどうでもいい、要はおもしろけりゃそれでいいんだ」という者に限ってちっともおもしろくない。昔、わたしの師匠がそういって鼻をならした。
また、演技の方法などというものは、古来その根幹となるところは殆どみな同じだし、何も変わってはいない。論議を呼ぶところは、そのごく表層にすぎない。
しかしだからといって、その表層を軽んずるつもりは決してない。それどころか、そこにこそ生命の実相に参入できるか否かの、欠くことのできない糸口が隠されていることは大いにあり得ることだ。
先日わたしは、旧友の老女優(76才)から、久し振りに勉強公演に出演することになったから是非観に来てほしいとの案内をいただき、劇場へ向かった。ただ一夜きりのささやかな公演だった。
わたしは舞台に立つ彼女の姿に、今まで味わったことのない、悲壮とも哀切ともつかない、圧倒的な実在感と、老残の身を晒す、まぎれもない彼女の自画像をみた。そしてあくまで抑制の効いたつつましやかな物言いと、静謐な佇まいに、わたしのこころは大きく波うった。
一滴の夜露が満天の星を宿すように、彼女の苦渋に満ちた渾身の全生涯を、そこに垣間観たのだ。
わたしはこの感動をなんとしても彼女に伝えたくて、楽屋へ駆けつけた。
彼女は、混雑した楽屋の中にわたしを見付けると、荒い息を吐きながら「維田さん、ほんとにごめんなさい┅┅┅。折角観に来ていただいたのに、こんなところをお観せしてしまって┅┅┅」と、何度もくり返しながら、人目も憚らず、肩を震わせ、まるで子供のようにポロポロと涙をこぼすのだ。
わたしは驚いた。これはいったいどうしたことなのだ。
わたしは彼女の思いもよらない姿に翻弄され、途方にくれながらも、その珠玉のような涙に大きな教示を得た気がした。そしてこの新たな感動に身の引き締まる思いで帰途についた。初冬の冷たい風が心地よかった。この一夜だけのささやかな公演を、わたしは今も忘れることが出来ないでいる。
おそらくこの老女優は、その苦渋と絶望感の記憶から今も抜け出すことが出来ないまま煩悶していることであろう。そしてその煩悶の正体がいったいなんなのか、それはおそらく誰にもわからない。
しかし、老女優の珠玉のような涙と、その殆ど意味不明の煩悶こそが、彼女にとって何ものにもかえがたい煌きそのものであることだけは間違いない。
演ずるということはひとつにはそういうことなのだ。解りにくいといえばいかにも解りにくい。しかしそこには演ずる者として断じて軽んじてはならない、大きな教示が隠されている。その隠された教示とはいったい何なのであろうか。
これは、ほんの一例にすぎない。わたしたちはこれら、命の実相に相まみえる謎をひとつひとつ解明しながら、具体的な表現力を育んでいきたい。そこにこそ、俳優として、真にヒューマンな作業とよろこびがある。
道は困難をきわめるかも知れない。しかし困難を伴わない道ほど空疎なものはない。
目先のうまい、へたに翻弄されることなく、失敗をおそれず、お互い、あるがままの自分を晒しながら、急勾配な坂道を登っていきたいものだ。あくまで実戦を旨として。
わたしたちは、老若を問わず、あなたの熱い志と、真摯な眼差しに出合えることを切に祈っている。
2017年7月 維田修二